クラシックの歴史

▲2013年 日本ダービー

わが国でもっとも古いクラシックレースは日本ダービーである。第一回は1932年。「広く全国に良駿を求めて能力の厳選を試みむとす」という趣意書のもとに、「東京優駿大競走」として目黒競馬場で行われた。優勝馬は函館孫作が跨ったワカタカ。東京競馬場で行われるようになったのは1934年から。日本ダービーという呼称になったのは1950年のことである。

次いで1938年にオークスの前身である「阪神優駿牝馬」が開催され、1939年には第一回の皐月賞と桜花賞が、前者は「横濱農林省賞典4歳呼馬」として横濱競馬場で、後者は「中山4歳牝馬特別競走」として中山競馬場で行われた。つまり春4冠の、いまにも続くクラシックロードが整備されたのは1939年からということになる。

これらの4競走はすべて競馬の母国である英国に範をとっており、より優れた繁殖馬を選定し馬産を向上させる意図から、どのレースも3歳限定(第一回開催当時は4歳)の競走となっている。日本においても「種牡馬・繁殖牝馬選定レース」という意味合いは受け継がれている。

日本競馬史上で初めて春の2冠を制したのは、牡馬は1941年のセントライト(秋に菊花賞も制し三冠馬に)、牝馬で1952年のスウヰイスー。1975年には菅原泰夫騎手がカブラヤオーとテスコガビーで牡牝の四冠を独占し話題となった。

3歳春のサラブレッドは人間にたとえると十代前半といわれる。青春時代をむかえた競走馬がその力を振り絞って駆ける姿は見る者の胸を打つ。これこそが、クラシックレース最大の魅力である。